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しあわせ

梅雨入り宣言がされた事が嘘であるかのように晴天の日々が続いている。まぁ処女宣言した女の子が実は処女じゃなかったみたいなことはよくあることで、梅雨入り宣言されてから中々雨が降らないことも稀によくあることなのだろう。気象庁を責めても仕方がないので、たまには気分を変えてハプニング系AVを見る事にした1人の寂しい男もいれば充実した日々を過ごしている大学生もいるわけで。



「あたしね、夏に向けて脱毛しようと思ってるんだ!」スターバックスの新作を頼んで、飲む前の様子を加工してから慣れた手際でInstagramTwitterに投稿してから突然彼女は話しだした。SNSに自分が充実してることをアピールすることによってリア充感を出す。女子大生は舐められてはいけない生き物なのだ。あくまでも忙しい自分、充実した日々を送ってる自分、を周りにアピールしないと死んでしまう。
そしてスマホの通知欄に出る【○○さんがいいね!をしました。○○さんがいいね!をしました。】と期待通りの反応を受けていることを横目で見ながら話の続きを始める。
「この夏なんで急に脱毛しようと思ったかっていうとね〜みんなで海行くって言ってたじゃん?その時にちゃんとキメたいな!って思って。」
なんでいちいちそんな事俺に話すんだ?と男は思いながら相槌を打つ。自称サバサバ系女子大生には″仲良し男友達″が必ず″複数人″いて、男達は多少の下心を持ちながら彼女の退屈な話に耳を傾けているのだ。
「それでね!脱毛ってね!お金が凄いかかるんだよ!女の子って大変でしょ?」
話の意図が全く見えない。終着点が見えない。どこに向かってるかわからない列車に乗っている気分を男は味わっていた。勿論、途中下車は出来ない。
飲んでいたスタバの新作も半分くらいになったところで女は急ハンドルを切るF1レーサーにも劣らない速度で話の路線を切り替えた。
「ねえ?幸せってなんだと思う?」
うわ、やばいよ、こういう突然不思議な質問してくるふわふわ系女子大生マジで面倒くせえよ。「あー、とりあえずセックスしたい」とは言えず、「夢が叶えば幸せなんじゃね?」と適当な回答で場を濁す。男は完全にマシンガン脱毛トークで疲れ切っていた、そこから彼女の幸せ理論が展開される。「30までには結婚して、子供も欲しくて!」おいおい、こういう話は彼氏にしろや、俺とお前はセフレだろ?とも返答が出来ず適当な相槌を繰り返す。スターバックス意識高い大学生や社会人が自分のMacBook Airを広げる場所ではなく、拗らせ大学生の墓場としても機能している。やがて、女子大生も一通り言いたかったことを話し終わると何の躊躇いもなく「そろそろ行こっか!」とスタバを後にして何の合図も前触れもなく当たり前のように近くの格安ラブホに入り、″休憩″という名の決して休憩と呼ぶには程遠い運動を終え、自分の中の心の穴が埋まったことを確認しつつ別々の帰路につきながら2人の男女は考えるのだ。
「しあわせってなんだろう?」



僕もこの女子大生と同じように幸せとは何か考えてしまった。(注:この女子大生はあくまでも想像上の生物です。)

Googleで調べても胡散臭いページばかり出てくる「幸せになるための簡単な方法」「幸せになる人に共通している○○の習慣」などなどだ。中身が先程の女子大生の会話並に薄っぺらいことはページを開かなくてもわかっているので21歳にしてインターネット歴15年の私はウィキペディアに頼る事にした。

幸福と一言に言っても世界中の人が昔から追い求めていたものであり、幸福についての考え方も色々あるんだな。サンキューウィキペディアウィキペディアの幸福のページを見ると世界中の哲学者達が昔から考えて考えて考えて考え抜いてきたことが僕にもわかりやすくまとめられている。暇で暇で素人系AV鑑賞のインタビューシーンだけを楽しむような人がもし読んでたら是非読んでもらいたい。新たな発見があると思う。
参考URL


なかでもラッセルの幸福論はしっくりきた。
己の関心を外部に向け、活動的に生きることを勧める。妬みは「わが身を不幸にする。」ので、他人と比較するのを止めなければならない。
また、ヴィクトール・フランクル(フランクフルトみたいだね)の言葉も私にしっくり来た。

ヴィクトール・フランクルは人間が実現できる価値を3つに分類している。

創造価値 善や美を作り出す。
体験価値 善や美を享受する。
態度価値 人間らしい尊厳ある態度をとる。
創造価値、体験価値の実現は一般的に言われる幸福な状態である。最後の態度価値は、困難で悲惨な環境・状況のなかでも実現できる価値であり、環境だけが人間にとっての価値ではなく、たとえどのような環境に遭遇しても、それに対する自分自身の態度のとり方にこそ価値があると捉えることで幸福を得られることを、ヴィクトール・フランクルは著書で語った。彼は、アウシュヴィッツという究極の状況下で人々が見せる様々な態度を目撃し、また、そのような状況下でも充実した生き方を見せた人に遭遇した実体験などもふまえてそれを語った
例えどんな環境の中でもそれに対する自分自身の態度のとり方にこそ価値がある。今の自分にグサッと刺さる一言である。

まあ幸せや幸福という究極のテーマに関しては僕は明らかに勉強不足だし、これ以上持論を語るつもりもない。(圧倒的知識量と経験値不足なので勉強して出直してきたいです。)

無意味なポジティブ!ポジティブ!みたいなのは嫌いだけどこれを書いてるうちになんだか心の中のモヤモヤがスッキリしてきた気がする。


※今回の引用元は全てウィキペディアです。